国宝松本城 豆知識②3つの門「大手門跡」
国宝松本城には、3つの門があります。
1つは、本丸庭園に入る「黒門」2つ目は東に位置する「太鼓門」*国宝松本城豆知識②3つの門「太鼓門」
そして3つめは、「大手門」です。現在は門はなく地形のみがその跡を残しています。
大手門桝形跡地が、2013年に発掘調査の後「桝形跡広場」として市民に開放されました。
広場には、案内看板があります。この場所は桝形と堀が埋められた場所になります。
枡形(ますがた)とはお城や砦などの防御施設の一種です。城門の前面に、正面からは進入できない形の小規模な広場を設けて、敵軍を足止めして攻撃する仕組みになっています。
松本城大手門は、松本城三の丸の正面入り口として堅固な防御施設が築かれており、大手門めがけて南から攻め寄せた敵が女鳥羽川を渡っても、一旦直角に東に曲がらないと門の前面に到達できないようになっています。その直角に曲がったところに設けられているのが大手門枡形で、北側は大手門、西・東・南側の三方は総堀に囲まれており、さらに堀との境には塀が巡らしてありました。(松本市HPより)
2012年地元向けに発掘調査見学会がおこなわれた時の写真です。
堀の中に無造作に投げ込まれた瓦や石垣の石が、たくさん発掘されていました。
大手橋から千歳橋へ
松本城は、内堀・外堀・総掘りに囲まれています。更に南の総掘りの外を流れる「女鳥羽川」も敵からの侵入を防ぐために大きな役割を果たしていました。本町の商人町からは、武家以外は大手橋を渡ることは許されていませんでした。
庶民は、本町~中町~東町と女鳥羽川を迂回して善光寺街道を通りました。
かつての木製の大手橋は、明治9年(1876)に取り壊された大手門門台の石を利用して石橋に替えられ、名前も千年も持つ橋になるように
「千歳橋」と変わりました。
現代であってもこの橋は、中心市街地南北・東西の中心に位置している大切な場所です。
北から千歳橋を眺めると地形が傾斜しています。
南から橋を渡ると道は真っすぐではなく、一旦に道が大きく曲がっています。大手門の枡形の名残であることがわかります。
説明案内看板
博物館建設予定地発掘現場
2022年に開館する「松本市基幹博物館」建設予定地は今現在、発掘調査がおこなわれています。
昔の地図を見ると大手門跡にも少しかかる場所かもしれません。
発掘調査報告が楽しみです。