北アルプスを越える峠道でよく利用される野麦街道は、野麦峠を経て飛騨に出るルートです。
松本平や伊那の人々の正月にかかせない飛騨鰤(ぶり)を運んだので別名「鰤街道」と呼ばれています。
明治~大正時代、信州へ糸ひき稼ぎに行った飛騨の若い娘達が、吹雪の中を命がけで通った野麦街道の難所、標高1672mの野麦峠。かつて13歳前後の娘達が列をなしてこの峠を越え、岡谷、諏訪の製糸工場へと向かいました。故郷へ帰る年の暮れには、雪の降り積もる険しい道中で、郷里の親に会うことも出来ず死んでいった娘たちも数多いと言われています。
この峠には「お助け茶屋」と呼ばれる茶屋があり、旅人は疲れた体を休め、クマザサの生い茂る峠を信州へ、飛騨へと下っていったのです。ノンフィクション「ああ野麦峠」で知られ、女工哀史を語るうえで悲しい物語を秘めた所でもあります。
芽吹く新緑の中を、旧野麦街道を歩く記念山行「野麦峠祭り」が行われています。
年一回毎年5月に、女工さんたちをしのび地元の奈川小中学校生徒達が、当時の女工姿をした乙女たちが、旧野麦街道を1.3キロに渡り歩き、当時をしのび記念山行が行われます。