正覚院しょうがくいん

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正覚院 浄土宗のお寺です。

境内には松本市指定等文化財の「観音堂」があります。

観音堂は廃仏毀釈で廃寺になった「波田の若澤寺」から移築されたものです。
観音堂の中には、「聖観音立像」(浅間真観寺より)

境内には同じく廃仏毀釈で廃寺になった「蟻ケ崎の正麟寺」の鐘楼兼山門などもあります。

 

かつての「信濃日光」を偲ぶ

★正覚院観音堂とは 
  正覚院観音堂は、もとは現在の松本市波田地区にあった若澤寺というお寺の金堂(薬師堂)です。明治初年の廃仏毀釈によって若澤寺が廃寺となった後、明治8年(1875)に今井地区の正覚院へ移築されました。木造平屋建・寄棟造・瓦葺で、建築年代は江戸時代中期と推測されます。 
  当初は三間堂として建設された後、移築や改築を経て、江戸時代後期には間口3間4尺×奥行3間(柱間:間口3間×奥行2間半)の現在と同様の姿になったと考えられます。若澤寺の塔頭(末寺)である西光寺の様子を描いた「西光寺絵図」(松本市重要文化財)には、享保2年(1717)に西光寺本堂を若澤寺へ移築したことが記されており、その際、部材の一部が若澤寺金堂に転用された可能性もあります。 

★かつての姿を今に伝える 
  正覚院観音堂は、「若澤寺一山之略絵図」などに描かれている若澤寺の金堂と同じ姿をしています。江戸時代の密教寺院・若澤寺の姿を、ほぼそのまま現代に伝える重要な建築遺構であるとともに、松本地方における最古級の仏堂のひとつとして貴重なものです。 
  また、若澤寺の金堂が廃仏毀釈を経て、その場所を変えつつも現存しているという史実は、地域の人々が文化遺産の保護に関わる強い気持ちを持っていたことを伝えています。 

★若澤寺とは 
  若澤寺は、松本地方の代表的な密教寺院として古くから知られ、江戸時代には「信濃日光」と称されるほどに栄え、その様子は「若澤寺一山之略絵図」などに描かれました。しかし、明治初年の廃仏毀釈で廃寺となると、若澤寺の堂塔・什物の多くは、正覚院のほか、盛泉寺(波田地区)、恭倹寺(梓川地区)など、松本平の他の寺院に移りました。現在、若澤寺のあった跡には石垣などが残っており、松本市特別史跡に指定されています。

松本のたからより

「若澤寺」跡取材ブログもご覧ください。

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松本市今井2180-1
TEL
0263-59-2728
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長野道塩尻北インター下車 
2019.1.18 ※経年変化により、記事の内容と現在の状況は異なる場合があります