松本最古の城址公園「城山公園犬甘城跡を辿る」歴史遍#おうちで松本
松本最古の城址公園
城山公園は、松本市街地の西の小高い丘の一角にあります。歴史的にも重要な場所です。
今回は歴史的な観点から歩いてみました。
城山公園開放の碑
松本城主戸田光庸がこの地を公園として領民に開放した記念碑で、香川景津恒がその由緒を書いたものです。
説明看板
本地区は古くから山城が築かれ、犬飼氏の居城があった場所である。江戸時代後期に開園した城山公園を含む市街地近郊の貴重な丘陵地一帯を区域とし、人々に潤いと安らぎを与える場となっている。市街地を望む南側斜面には緑豊かな住居地が形成されている。
第1種風致地区内の城山公園は歴史が古く、天保14年(1843年)に松本藩主戸田光庸(みつつね)が、弓の練習場などがあった城山に数千本の桜や楓を植栽し、庶民に開放したことが始まりとされ、日本の公園の先駆けとなった。明治8年(1875年)には、当時の筑摩県によって公園に指定され、松本で最初の公園となった。園内には桜の他に赤松、サツキやツツジなどが植えられ、季節の変化を感じる美しい公園である。地区内には国の登録有形文化財の城山配水地旧配水池や放光寺等の歴史的建造物が点在している。丘陵中腹にある放光寺は平安時代初期の創始と伝えられ、寺の名前が地名の由来となっている古刹である。境内には四季折々の花が咲き誇り、梅、桜、花桃、山吹、ぼたん、花菖蒲、紫陽花、萩等が訪れる人の目を楽しませている。これら美しい丘陵地一帯は古くから市民に親しまれ、自然景観と調和した趣ある風致を形成している。今後も、この美しい自然景観を保全し継承していく必要がある。
標高665.7メール
犬甘城説明看板
城山公園は、松本市街地の高台に位置しています。
元々は、上記の説明にあるように南北朝時代から重要な支城だった場所です。
いくつかの丘が連なります。
確かな城跡はありませんが、現在でもタテ堀で分割された砦のような小山が見られます。
西の眺望
東の眺望
城山稲荷神社
古木の桜も見事です!
開放の碑に「天保14年城主が民のなくさめにとこの城山に桜や楓を植えて開放した。」と記されています。
松本市HPの資料を紹介します。
松本のお城といえば、何といっても松本城。でも実は、松本市域を取り囲む山の尾根や中腹には、戦国時代に築かれた山城が数多く残っているのです!ここでは松本の山城の魅力をご紹介します。
松本城の情報はこちら(外部サイト)
松本は城の宝庫!
長野県は城郭研究が古くから行われてきた地域で、昭和58年(1983)に山城をふくめた中世城館跡の分布調査が行われました。当時の調査結果はなんと1,265か所にも及んでいます。
現在、松本市域には主なものだけでも山城が33か所あり、それ以外にも砦、平地の城や館も含めると、その数は90か所以上にものぼります。
戦国時代の松本
15世紀後半から16世紀、応仁の乱の影響をうけて日本全国で戦乱が巻き起こりました。その時代を戦国時代と呼んでいます。松本では信濃守護小笠原氏の内紛、甲斐国(現在の山梨県)の武田氏の進攻、そして武田氏滅亡後は信濃国内で上杉氏、北条氏、徳川氏、豊臣氏の介入する戦いが相次ぎました。それらの戦乱の中で、平場(ひらば)・堀・土塁(どるい)・石積(いしづみ)などで守りを固めた山城が発達していったのです。
松本の山城
現存する市域の山城は、15世紀後半以降、小笠原氏や在地の武士によって相次いで築かれたと考えられますが、とりわけ、武田氏が滅亡した後に徳川家康の支援を受けた小笠原貞慶(さだよし)が、木曾義昌や上杉景勝との戦いに備えて当時の最新の縄張(なわば)りを意識して、本格的な改修をしたと考えられています。
松本の山城の特徴
・山の中腹の尾根に城を構える
・尾根に深く広い堀切や土塁を何重にも設けて敵の侵入に備えた城が多い
・長大な竪堀(たてぼり)を山の麓まで下ろす
・主郭に平たい石を使った石積をめぐらせる城が見られる
・全体的に縄張りが複雑で戦いに備えた構造である
犬甘(いぬかい)城跡(蟻ヶ崎地区) 市名勝城山公園 松本平のパノラマビューを満喫
犬甘城跡は城山公園の一角にあり、もっとも気軽に行ける山城です。市民に親しまれる城山公園は、幕末に松本藩主戸田氏により庶民に公園として開放された松本最古の城址公園です。歴史的にも貴重な財産として、令和2年1月28日に市特別名勝に指定されました。展望台に立つと塩尻から安曇野まで、松本平を一望できます。
犬甘城跡
・駐車場 城山公園内に駐車場あり
・公共交通機関 アルピコバス北市内線・四賀線・アルプス公園線「城山公園口」から徒歩16分
・トイレ 公衆トイレあり
コロナウィルス感染が収束して安全になりましたら、城山公園にお出かけの際には
古(いにしえ)の城山も気にしながら歩いて頂くとまた一味楽しめるかと思います。