世界中から多くの方が訪れる スズキメソード「鈴木鎮一記念館」
2018年2月23日以前から気になっていた、住宅街の一角にある「鈴木鎮一記念館」を訪れました♪
ドアを開けるとピンポンと合図がなり、館長さんが迎えてくれました。
鈴木鎮一記念館は、音楽による幼児の才能教育「スズキ・メソード」を生み出した鈴木鎮一先生が、昭和26年から平成6年まで住まわれたご自宅で、スズキ・メソード発祥の地です。
グランドピアノが置かれた部屋では、奏者をお呼びして年に4回程無料でコンサートが開かれるそうです。
ピアノの上には、鈴木先生が生前使われていたバイオリンケースが置かれています。
壁には、日本国内は、元より欧米各国から数々の名誉市民称号・博士号などの認定書。賞状が展示されています。
とっても素敵な写真がありました。山を背景にして子どもたちと城山公園の傾斜を登る写真です。
「サウンドミュージックのよう」と書かれていました。
こちらの写真は、松商学園の講堂前で撮影された写真です。
昭和21年撮影で、小さくて見にくいですが、子どもたちがバイオリンを手にしています。
その当時としてはとても珍しい光景のように思えます。
鈴木先生とアインシュタイン博士とは、とても親密な絆で結ばれているお話しを展示資料を見ながら結城館長さんがお話ししてくれました。
留学先のドイツでの2人目の後見人としてお世話してくださったのが、アインシュタイン博士でした。
精神的にも豊かな環境の中で暮らしたことで、後の才能教育の萌芽も生まれたのかもしれません。
友好の証として帰国する際にアインシュタイン博士から贈られた自画像のレプリカも展示されています。
本物は、大切に保管されています。
その奥のお部屋は、元は食堂で現在は、ビデオを鑑賞したり鈴木先生に関係する多くの図書も置かれ読むことも出来ます。
洋室が主ですが、書斎は中庭に面した畳の部屋です。
1番奥の部屋は、ご夫婦でゆっくり過ごしたり大切なお客様をお迎えする応接間です。
ドイツ人の奥様の趣向を凝らした洋間がとてもセンスもよくこのお部屋を愛されていた様子が伺えます。
家具は、奥様の要望ですべてはめ込み式に造られたそうです。
結城館長さんから、戦争を挟んで日本に住んでいたドイツ人の奥様の苦労されたお話も伺いました。
最初は、実家である名古屋に住んで言葉の壁で大変苦労され、その後東京に移り住むのですが、戦火が激しくなり
ご実家のバイオリン工場の関係のある木曽福島に疎開されていたそうです。
戦後は、アメリカ軍により捕虜収容場に1年半も収容され、とても辛い思いをされていたそうです。
その後松本に住むことになりこの地で才能教育が生れ世界中に広がりました。
今回は、就任され10年の結城館長さんに、大正から平成までの鈴木鎮一先生の人生に触れるお話しをお伺い出来きたことを
この場を借りて心より感謝申し上げます。