パワースポットとしても密かに人気 四柱神社(よはしらじんじゃ)
明治時代神道として建立された四柱神社(よはしらじんじゃ)
四つの神様が鎮座されていて「神道(しんとう)」とも呼ばれ親しまれています。
四柱神社の参道的な場所として女鳥羽川沿いにあるナワテ通りは、栄えてきました。
松本の街中にある四柱神社の境内には、緑の小路があり様々な木や花が植えられています。
秋には、紅葉が美しく自然が豊富な神社で、市民の憩いの場所としても親しまれています。
最近では、パワースポットとしても有名になり、国内外を問わず多くの方々が参拝に訪れています。
【歴史】
明治維新の折、神仏分離令(廃仏毀釈)が出され、これによって、明治7年2月、松本に神道中教院が
宮村町長松院跡に設立されました。
院内には、天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、天照大神の四柱の大神が奉斎されました。
明治12年10月1日、新たに一社を起こし、
四柱神社として、現在地に鎮斎された。同時に、神道事務分局も隣接して新築されました。
翌13年6月24日、明治天皇の行幸の折、神道事務分局を行在所に定めてお迎えしました。
明治21年1月4日、松本大火により類焼。大正13年、現在の社殿が再建されました。
ちなみに、前述の由縁により、当神社のことは、「しんとう」と呼ばれ、
広く親しまれている。加えて、当神社例祭も「神道祭」と呼ばれ、
松本平を代表する秋祭りとして斎行されています。 【四柱神社HPを参照】
四柱とは
*天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
*高皇産霊神(たかみむすびのかみ)
*神皇産霊神(かみむすびのかみ)
*天照大神(あまてらすおおみかみ)
四人の神をさし、すべての願い事が叶う「願い事むすびの神」です。
御利益があるのでしょう、絵馬がずらりと並んでいます。
願いを込めて!
お正月には、いたるところにおみくじが結ばれます。
縁結びの松
参集殿の前に「縁結びの松」と書いた札がかかった松があります。
一本の松が二本に分かれて立っています。
コミックス「orange」の重要な場面にも出て来ます。
授与所でおみくじ、御朱印など受付されています。
御祈祷に関しては公式HPこちらをご覧ください。
*四柱神社の御朱印の記事ごしゅメモもご覧ください。
四柱神社の四季
お正月
2017年元旦早朝に撮影 昼には橋まで参拝の列が並びます。
2010年元旦午後頃の写真が見つかりました。長い時は、ナワテ通りを通り越し女鳥羽川の幸橋まで列は続きます。
みくじ結びの花が咲きます!
春
1本の枝垂れ桜は、毎年四月の後半に満開になります。
夏
夏越大祓。茅の輪くぐりをして半年の汚れを払います。
秋
神道祭
収穫の時期におこなわれる神道祭は、かつては松本平ら中から大勢の人で賑わっていた華やかなお祭りだったそうです。
毎年テーマを変えて人形が飾られます。
七五三
えびす講 11月19・20日 しょうふく祭11月第3土日
四柱神社の神々
招魂殿
御祭神 旧松本市出身戦歿者の英霊
伊勢神宮 伊勢の豊受大神宮(外宮)御垣内 外幣殿の撤下古材一棟そのままを拝領し、
神宮の唯一神明造を忠実に組み上げたものです。2015年新たに建立されました。
境内にある恵比寿神社
毎年11月19.20日にえびす講がおこなわれています。
伊勢神宮遥拝所
四柱神社の境内
新しく大きな鳥居が出来たのは、15年ほど前だったでしょうか。
鳩が寄りつかにように微電流が流れています。
明治天皇が渡られた橋 15年くらい前までは、封鎖され左右にある通路を通っていました。
下を流れる川は、埋め立てられた総掘りの跡です。
御幸天皇陛下が渡られたという意味の由来が書かれた看板もあります。
明治に入るまでは、この場所は松本城の総掘りでした。明治に入り、1番最初に総掘りが埋め立てられたのはこの場所でした。
埋め立てた跡に四柱神社は建立されました。
その後南総掘り跡は、四柱神社の所有地となり、神社に土地を借りてご商売されていますが、中には過去の宮司により売買された土地もあります。
現在でもナワテ通りの老舗は、商売を閉める時は、神道様に土地をお返しすると言われている店主さんもいらしゃいます。
女鳥羽川沿いにある長屋門をイメージした造りのナワテ通り商業協同組合の店舖は、市道に立ち、仮設店舗として松本市に営業許可を取り営業しています。
御祈祷を受けた時にお願いして撮影の許可を頂きました。
神楽殿の舞台 裏側は斎館と繋がっています。
参集殿では、定期的に落語会や講演会なども催されています。
参集殿の1階に甘味処「神道庵」があります。
四柱神社の木々の小路
毎年執り行われる神道祭 10月1.2日の夜には、女鳥羽川で奉納花火 打ちあげ花火とナイアガラが打たれます。