みすず細工~鳥越もみじ交遊舎(岩手県)での情報~

2009.9.30
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みすず細工~鳥越もみじ交遊舎(岩手県)での情報~

岩手県二戸郡一戸町鳥越地区にある「鳥越もみじ交遊舎」ではスズタケを使って竹細工の体験が出来ると知り、行ってみました。そこで松本とつながる貴重な情報を館長の鈴木さんから教えていただきました。

松本のみすず細工は二戸のおかげ!?
「岩手県立博物館研究報告 第24号 2007年3月」によると、昭和28年(1953年)10月に柳宗悦は盛岡市を訪れ、10月6日に行った「民芸座談会」の様子を翌7日の岩手日報が下記のように報じているというのです。
『岩手は工芸品の宝庫だ。例えば竹細工だが、これは日本では各地にあるが、二戸のは、あの地方の特色を持つ材料、あみ方、用途など、他に比類のない良いものがつくられている。あの細い竹であんでいる所は、日本には松本と二戸と二ヵ所しかない。しかも(松本のものは)二戸から教えられて伝わったものだ。』

さらに二戸から松本に伝わった根拠として、明治44年(1911年)刊行の書籍「信濃経済誌」の「第五章加工業 第四みすず細工」に下記のような記述があることも書かれていました。(2009年9月現在、松本市内の図書館などに「信濃経済誌」が保管されていないため確認できていません。)
『沿革 其起原は記録なくして詳ならず。然れ共今より凡そ五十年前、即ち嘉永年間、陸中国南部地方の者松本町に来り、原料を諏訪地方より取り寄せ種々の器物を編製せり。是其の濫觴にして最初は粗雑なる製作品なりしが、技術の進歩に伴ひ海外輸出品をも産するに至り。今日に於ては東筑摩郡のみにて一箇年数萬円の輸出あり。』
以前書いた記事の中で明治22年には篶細工が「内国勧業博覧会」に出品された時の解説書の『嘉永2年(1849年)3月に始めて篶細工の製造法を知り』という言葉に一致します。二戸の人が来て教えてくれたということなのでしょうか。

信州編み・高田編み
左が信州編み
「信州編み」と呼ばれる編み方があることを教えていただきました。
写真の左が「信州編み」 違いがわかりますか?

工藤紘一氏の書籍によると明治41年(1908年)に竹細工職人の高田浪弥が来て、この地方に新しい編み方を教えたとのこと。
それまで鳥越で編まれていた「二本二間飛び」を上回るものではなかったが、技術的にある程度高く、量産できる編み方だったので鳥越の人たちに受け入れられたようです。彼への感謝の気持から「高田編み」や「高田作り」とも呼ばれていたようです。
著者の工藤氏は、松本にスズタケを使ったみすず細工があったことなどから高田浪弥は松本の出身ではないかと推測しています。
鳥越に行く前の高田浪弥は、明治39年5月に秋田市千秋公園で行なわれた第五回奥羽六県聨合物産共進会へ竹行李を出品し三等に入賞しています。また、その前の明治36年に大阪市で開催された第五回内国勧業博覧会で竹行李と手さげ類を出品し三等に入賞しています。どちらも岩手県盛岡周辺の住所になっていたそうです。

松本から御殿場へ 技術と人
鳥越もみじ交遊舎の元管理人の柴田さんが平成10年2月にまとめた記録によると、富士山麓の原野に自生する「スス竹」を原料にした竹行李の製造が信州方面からの出稼ぎ人によって始められ、特産品にまでなったと書かれています。
明治20年代始め頃に竹行李の生産が伝わり、明治22年に定住し竹行李製造の看板を出した林梅吉の影響が大きかったらしいのです。この林梅吉は松本付近出身だったとのことです。明治44年(1911年)刊の「静岡県特産物調査」でも、竹行李の開祖として長野県出身者林梅吉の名があげられているとのこと。
林梅吉は、信州から職工を300名も呼び寄せていたそうです。御殿場の竹行李は輸出するまでに栄え、殺到する注文品の製造に応じるためでした。当時は総数500名ほどの職工が信州の農閑期に出稼ぎに来て、数軒の竹行李業者に雇われ、10歳くらいの年少者は「信州小僧」と呼ばれていたそうです。

鳥越で使われた「信州もの」
上述と同じ鳥越もみじ交遊舎の元管理人の柴田さんが平成10年2月にまとめた記録によると、竹の内側の肉を取るのに使用する機械に「信州もの」「御殿場もの」と呼ばれるものがあります。「御殿場もの」は鳥越で始めて導入された機械、「信州もの」は戦後20台導入したと町史に記載されているそうです。「信州もの」の機械の銘板には次のように書かれていたとのこと。
「農林省斡旋 玉入り竹肉取り機械 玉入れ竹割り機械 玉入れ竹引き機械 竹細工用具一式 長野県松本市豊田町 元祖 製造販売元 吉沢直松鉄工所 電話 松本2-3294」(豊田町は現在の庄内です)
松本で作られた機械だったのですね。

鳥越もみじ交遊舎
体験してみました竹細工体験に興味のある方もいると思うのでご紹介します。
初めて竹細工に挑戦する方には、ペン立ての作成体験があります。約1時間の講習で材料代と講習代合わせて500円。
私も初めて竹細工を体験してみました。複雑な作業ではないのですが、これがなかなか思うようにいかず、写真のような出来上がりになりました。ペン立てだけではなく上側を広げて作ると花器にもなると言われ、ペン立てにするべきか花器にするべきか迷った感じが出てます。

2009年9月現在、鳥越には220世帯あり、竹細工をしているのは45世帯55人です。70歳代の方が主で、最高齢の方は96歳です。一戸全体では100世帯が作成しています。
昔はほとんどの家で竹細工をしていたそうですが、年々製作者が減少し、存続の危機を感じて後継者育成のために町は平成7年に「鳥越もみじ交遊舎」を作ったそうです。小学校の授業でも竹細工を行ない、地元の小学生はここで学びます。
館内には様々な「鈴竹」の竹細工が展示・販売されています。鳥越では「みすず細工」のような竹細工の呼び方はなく、スズタケは「鈴竹」と言われています。松本ではみすず細工の職人さんがいなくなってしまったため松本では松本製を買うことはできません。松本の土産店では東北から仕入れていると言っていたので鳥越のものかもしれませんね。
館内の様子制作場所

販売コーナーいぶした竹細工
右の写真の茶色の竹細工はいぶされてご覧のような色を出すそうです。いぶりがっこ(秋田県のいぶり漬け)のような香りがしてお腹が空きそうでした。

花器 そのまま花器 押さえるとこうなる
上の写真の花器はスズタケ細工の弾力がよくわかります。押さえるとつぶれるのですが、すぐ元に戻ります。この弾力と技術には驚きました。NHKのお昼の番組で放送したときには注文が殺到したそうです。
館長の鈴木さんに持っていただきました。ありがとうございます。

美しい展示品座布団の模様
後ろに立てかけられているのは座布団です。よく見ると美しい模様が編まれています。右側の写真の模様が見えますか?

展示コーナー高度な編み方
販売はせず展示だけの物もあります。高度な編み方で見ているだけでも大満足です。

鳥越観音堂鳥越で竹細工が始まったのは平安時代ともいわれています。竹細工にまつわる伝説がいくつかあり、二戸地区広域商工業振興協議会の冊子によると、大同(806年~810年)の昔、鳥越に滞在中の慈覚大師の夢枕に観音様が現れて「わが化身である大蛇の胴の模様を竹細工の編組法にとりいれてこれを里人に広めよ」と慈覚大師に命じたとの話もあるそうです。その観音様は、鳥越もみじ交遊舎から上ったところに鳥越観音堂があり、今でも住民の方に信仰されています。観音様は、村人が殺生しないことを条件に竹細工を教えたとの話もあり、縁日などには肉・魚・卵を避ける方もいるそうです。

鳥越もみじ交遊舎
鳥越もみじ交遊舎
 岩手県二戸郡一戸町鳥越字
 宮古沢21番地1   地図
 電話:0195-32-3981
 開館時間:9:30~16:30
 休館日:火曜日

松本の観光ホームページですが、いつの間にか岩手県二戸郡一戸町鳥越のご案内になってしまいました。鳥越もみじ交遊舎に行かれたら松本にもぜひ来てくださいね。松本で見られるみすず細工については、当サイト内「松本の伝統工芸みすず細工」をご覧下さい。