みすず細工~宮沢さんのお話~

2009.8.15
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お年賀手ぬぐいみすず細工に詳しい宮沢さん
宮沢さんの家は昭和45年ごろまで竹行李問屋を営んでいました。みすず細工の材料スズタケを仕入れて職人に売り、職人が作ったみすず細工を買い取っていました。宮沢さんは自らもみすず細工を作っていました。刑務所に服役している人に30年間作り方を教えていました。北海道の人に是非教えてほしいと言われ1ヶ月ほど出向いたこともあったそうです。宮沢さんに話を伺い、また貴重なみすず細工も見せていただきました。写真の手ぬぐいはお正月にお客様へのお年賀としてプレゼントしたもの。


全国各地で使われていたみすず細工、さらに海外まで
軽くて丈夫なみすず細工は大変重宝され、北は北海道、南は九州まで出荷されていました。東北地方では出稼ぎで上京する時に行李が使われていました。行李は広く使われ、遠洋漁業の船、修学旅行、軍隊の人にも愛用されていました。
海外に輸出されていたカバンを見ることができました。大きさは横幅20センチくらいのボストンバックです。これよりも大きなサイズもあったそうです。輸出は船便だったために海の湿気でかびてしまったそうです。三代沢本寿さんが本に書いてあった「注文がぴたりと途絶えた」理由はカビのせいだったのかもしれません。
輸出品バッグ輸出品バッグ

スズタケ群落スズタケの刈り取り方法
スズタケの刈り取りの適期は秋から冬2月まで。雪の中でも取っていました。8月までは竹が伸び続け、秋になると身が締まってきます。3月になると水を吸い上げる時期になるため虫がつきやすくなります。水を吸い上げる前か後かで性質が大分違います。繊細な細工用の竹は節の低い1年子(1ねんご:1年目のもの)を使用します。2年子以上のものは厚いヒゴができるのでザルやビクに向いています。1年子は皮が全体を覆っているので節が見えませんが、2年子以上のものは皮がはがれて節が見え、竹の色も黒味がさします。
縁巻用のものは柔らかいものが良いので8月上旬までに刈り取ります。
松本周辺のスズタケを使用していましたが材料が足りなくなり、秩父連山三国付近、木曽、下伊那~愛知県、富士山麓の御殿場口、本栖湖、河口湖などからも現地の人にお願いして調達しました。
山から刈り出すには、まず道を作り、刈り取ったものを背負って運び出し、それを馬車に乗せ変えました。松本駅の荷物の中でかなりの量のスズタケが貨車から降ろされ取り扱われた時もありました。
山の中にあるスズタケは何でも刈り取るのではなく、いいものを拾い切りするため簡単なことではありませんでした。ブナの原生林や沢には長さ2メートルを越える質の良いスズタケがありました。質の良いものとは、す~っと伸びていて節と節の間が長いものです。竹林に手を入れて整備することでまた良質の竹が生えてきます。
刈り取り風景積み込み風景

細いヒゴ竹割り10年
竹割りでさえ一人前になるには10年かかります。スズタケは鉛筆程度の太さです。それを四つ割り、六つ割り、さらにもっと細くすることもあります。肉のほう(竹の内側)を削り同じ細さに揃えてヒゴを作るのは至難の業です。
問屋で竹を割って職人に売っているところもありました。昔は薄川や田川の土手に竹が干され、雨が降り始めると子供達が「おばさん、雨が降ってきたよ~!」と教え、慌てて一斉に取り込む光景がありました。
農家では農閑期に共同で竹割ったりしてみすず細工を作っていました。地下にある養蚕の室(むろ)は冬は暖かく湿度も乾燥せずちょうど良い場所でした。想像ですが、同じ場所で作業をしていても教えあうことはなく、技術を盗みあっていたのではないかということです。正に「技術は盗んで覚える」時代だったのでしょう。

腕自慢の一品
大事な収入源としてのみすず細工でしたが、技術が上がってくると売るためではなく自分の技術を見せるために作ることもありました。写真のトランクは大正時代に作られたものです。細部まで丁寧に作られていてため息が出るほど美しい作品です。
腕自慢のトランク美しい網目細部までこってますUSAの留め金

宮沢さん作宮沢さん作製の逸品を見せていただきました。みすず細工でこんなにも素敵なバッグができるんですね。どこから見ても美しいです。バッグの片側は中と外がつるつるの皮の面になるように二重になっているのですが、持たせてもらうとあまりにも軽くて驚きました。赤い竹のヒゴは煮て染めたそうです。
持ち手下側模様拡大模様宮沢さん


普段使いのみすず細工
今ではほとんど見かけることができなくなってしまいましたが、かつてどのようなものが使われていたのか紹介します。
行李行李(こうり)
衣類を入れる行李にはタンス一竿(さお)分が入ると言われています。宮沢さんは実際にやってみたそうです。行李の蓋の上下がかみ合いさえすればいいので確かに一竿分入りました。しかし重くて持ち運ぶことはできなかったとのことです。
裁縫箱裁縫箱
どの家にも当たり前のようにありました。シンプルで持ち運びにも便利です。
弁当行李弁当行李
裁縫箱よりも小さい行李にご飯を詰めます。山仕事の人たちは昼食の時に、この行李ごと川の水にくぐらせ水気を振り払ってさらさらになったご飯に味噌をつけて食べました。行李にご飯がつかず、早く昼食を済ませるのに便利でした。
銭湯の脱衣所の敷物
現在の旧開智学校にあるような竹細工の敷物は銭湯の脱衣所でよく使われていました。水切れが良いからですね。
ここで偶然旧開智学校の敷物のことがわかりました。宮沢さんのところにいた職人さんが一人で結構な時間を費やして作ったそうです。

銭入れ籠銭入れ籠
八百屋などの店には籠が吊り下げられていただいたお金やつり銭が入っていました。
魚びく魚ビク
ビクの外側はつやがありません。魚を傷つけないようにビクの内側をつるつるの皮面にしてあるからです。
他に米上げざる、田植えビク、桑ビク(ボテ)、とうじかご(とうじそばで使用する小さなかご)、みそこし(味噌汁を作るときに味噌をすりつぶす)など生活に密着しているものがほとんどです。みすず細工はネマガリダケの竹細工ほど頑丈ではありませんが、程よい弾力性があり使い勝手が良いのです。
余談ですが、今から70年~80年位前の味噌はブツブツしていました。近所の人たちが集まって自家製の味噌を作っていました。大豆をミンチする機械はないため、ハンギレ(はん切:大きい木製のたらい)に熱々の大豆を入れてゴンゾ(わらで編んだ長靴)を履いて踏み潰しました。きれいに潰すことができないので味噌には荒い粒が入っていました。その粒を潰すためにみそこしに入れてすりこ木でつぶしたのです。現在一般的に出回っている味噌はなめらかな為みそこしの役目が良く分からなかったので味噌の作り方を添えました。
買い物かごびく小物入れ岡持ち鬼行李
←こちらは通称「鬼行李」と言われていたものです。ヒゴが太く無骨な感じで、松本民芸館の創館者の丸山太郎さんが大変気に入っていました。


細工のポイント
竹細工を始める前にヒゴを水に漬けておきます。ヒゴを柔らかくするためですが、漬けすぎるとヒゴが水分を含みすぎて乾いたときに狂ってしまいます。
竹には油分があります。火で炙ると油が出てきて曲げられます。2~3分で固まります。通常はヒゴが細いので加熱せずに押さえるだけでも曲がりの部分が作れます。


みすず細工を取材してみて
2009年5月に知ったみすず細工を取材するにあたり、何か知っていそうな人に尋ねていくうちに人を紹介されて様々なことを知ることができました。多くの方の協力があってこのような形にできました。感謝でいっぱいです。
一方、松本の伝統工芸といわれているみすず細工自体は現時点では復活する見込みがありません。安いプラスチック製品に押されて職人が生活できるほどの収入が見込めないこともありますが、材料のスズタケの採取が困難だという問題もあります。山にも所有者があり勝手にスズタケを取ることは出来ないからです。松本で復活させたいと思う人が現れても簡単にはできないのかもしれません。

2009年8月18日一部文章を加筆・訂正しました。