江戸時代の旧町名「鍛冶町」です。
町人町・東町の南端から山家組へ通じる枝町名。「信府統記」には「家数二十七軒、町幅三間。昔ハ紺街トモ云ヒ、中比鍛冶町と云ヒ、今ハ山家小路ト云フ」とある。享保年代ころには、山家小路と呼ばれていたが、江戸時代後期には農機具などを打つ鍛冶屋が2軒あったそうで、鍛冶町の名称が定着しました。
江戸時代の旧町名「鍛冶町」です。
町人町・東町の南端から山家組へ通じる枝町名。「信府統記」には「家数二十七軒、町幅三間。昔ハ紺街トモ云ヒ、中比鍛冶町と云ヒ、今ハ山家小路ト云フ」とある。享保年代ころには、山家小路と呼ばれていたが、江戸時代後期には農機具などを打つ鍛冶屋が2軒あったそうで、鍛冶町の名称が定着しました。
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