県指定遺跡針塚古墳はりづかこふん

県指定遺跡針塚古墳
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山辺谷の歴史を静かに語る

市内唯一の積石塚(つみいしづか)古墳 
  針塚古墳の所在する里山辺地区は、美ヶ原山塊から流れ出る薄川(すすきがわ)が形成した扇状地です。針塚古墳は、扇央部の河岸段丘上に位置し、周囲を水田とぶどう園に囲まれています。近年の農業基盤整備事業でこの河岸段丘も姿を消しましたが、かっては段丘上に同様な古墳が数基ありました。現在はこの針塚古墳が残るのみです。 
  針塚古墳は以前から積石塚古墳として知られていました。積石塚古墳とは土のかわりに石をもって封じ、墳丘を造った古墳で、高句麗(こうくり  朝鮮半島北部の古代国家)に多い墓制であることから渡来人との関係を指摘する声もあります。 

発掘調査の結果は 
  平成元年度(1989)から3次にわたって発掘調査が行われました。その結果は、幅約2mの周溝をめぐらした円墳で直径約20m、高さは約2mが確認できました。埋葬施設は墳頂部に長さ約2m、幅約1mの竪穴式石室、東側の周溝内に長さ約2m、幅35㎝、深さ33㎝の竪穴式石室、東南側周溝内に木棺墓(もっかんぼ)が発見されました。このうち墳頂部の竪穴式石室内からは内行花文鏡(ないこうかもんきょう)をはじめ、鉄斧(てっぷ)、鉄鏃(てつぞく)、刀子(とうす  小刀)、ガラス小玉、滑石製紡錘車(かっせきせいぼうすいしゃ  糸をつむぐときに使用するはずみ車)、鉸具(かこ  例えば馬に鞍を取りつけるためのベルトを固定する金具)が発見されました。そのほかに南西部の周溝内から埋葬に際して行われた「おまつり」に使用された土師器(はじき)、須恵器(すえき)がまとまって見つかっています。 
  この発掘調査では、まずこの古墳が方形3段積みの古墳ではなく、円墳であったこと、「おまつり」に使用された土器から古墳の築造年代は古墳時代中期の5世紀後半であること、古墳の墳丘は、周溝の土を盛り上げその上に薄川の石を積みあげて造った積石塚古墳であることなどがわかりました。 

保存整備された古墳 
  平成元年度から発掘調査された針塚古墳は、松本地方にとって重要な古墳であることがわかったため、地元をはじめとした市民の要望として現地へ保存してほしいとの声が上がりました。このため地元の方々の協力をいただいて現地保存ができることとなり、平成5年度に保存整備が行われました。発掘調査された古墳の遺構を土で覆って保存し、その上に石積みし、墳頂部には石室の複製を設置し発掘調査されたままの状況を再現しました。周辺は公園として整備し、市民の憩いの場所、歴史教育の場として活用をはかりました。山辺は『倭名類聚鈔』(わみょうるいじゅうしょう  平安時代の漢和辞書)にでてくる山家の郷(やまんべのごう)にあたるところで、針塚古墳をはじめとして現在も多くの文化財が残っています。 

*出典 「松本のたからより」

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〒390-0221 長野県松本市里山辺3108
2018年7月9日