松本市内堀込地区にある牛頭天王(ごずてんのう)をまつる津島神社のお祭りです。子供たちが晒し木綿のもっこふんどし姿になり、疫病退散・五穀豊穣・厄除けなどを津島神社にお祈りします。そして、五色の紙のぼりをかざし、大きな声をかけながら集落の中を駆け巡り、津島神社に戻ります。
「裸祭り」は堀米(ほりごめ)(松本市島立地区)の氏神である津島神社(つしまじんじゃ)のお祭りです。
小学生の男子がもっこふんどし姿で幟旗(のぼりばた)を担ぎながら地区内を練り歩きます。昭和63年に長野県無形民俗文化財に指定されました。津島神社は、江戸時代中期に尾張一宮の津島神社から勧請(かんじょう)された神社で、古代インドの守護神「牛頭天王(ごずてんのう)」(疫病除けの神)をまつっています。ふんどし姿になるのは、悪霊を威嚇(いかく)するためだそうです。
5.6年生が代表で津島神社に参拝します。「二礼・二拍手・一礼」やお社の周りを回る参拝の仕方や掛け声の練習をします。
世話役が太鼓のリズムを教えていました。6年生が来年のリーダーとなる5年生にお手本を見せていました。伝統が受け継がれていく場面です。低学年が持つ五色の紙幟は、5・6年生が「奉献津島牛頭天王」と書いてあげるそうです。その他、名前や干支も書いてありました。
疫病退散・五穀豊穣・厄除けを祈った後、お社を三周し地区内を幟旗を持って巡ります。大幟を持つ親玉(5,6年生)が「オンヤーサー」と掛け声を掛け、中幟を持つ中玉(3,4年生)、五色の紙幟を持つ小玉(1,2年生)が「モンヤーサー」と続きます。
地区内を二手に分かれて練り歩いてきた幟旗は、もう一度立てられます。
地区内を回ってきたことを「牛頭天王」に報告した子供たちはお社の傍らにある池(せぎ)に飛び込み禊(みそぎ)をします。
子供たちにお祭りについて聞いてみました。返ってきた答えは
「寒いよ。足が疲れる。幟旗が重い。」
「泥んこになるのが楽しい。」
とても子供らしい感想でした。しかし、一生懸命子供たちを指導している世話役さん(昔、少年だった)も子供の頃は恥ずかしかったそうです。この子達もきっと次代へ受け継いでくれることでしょう。
晒し木綿のふんどし姿のこども達が、紙幅を持ち、疫病退散、五穀豊穣、厄除けを祈り、掛け声をかけながら地区内を行進します。津島神社に戻り、傍らの池に飛び込み禊を行う元気な祭りです。
*写真・文章は「新まつもと物語」旧サイトより転用しています。
牛頭天王(ごずてんのう)は疫病除けの神
裸祭りは、堀米(ほりごめ)地区の氏神である津島社の祭りです。津島社は江戸時代中期に尾張(愛知県)一宮の津島神社から勧請(かんじょう)されたといわれ、牛頭天王(ごずてんのう)をまつっています。牛頭天王は古代インドの守護神で、疫病除けの神としてまつられています。
以前は6月30日には宵(よい)祭り、7月1日に本祭りが行われましたが、現在は7月の第一土・日曜日に行われています。
宵祭りの日は、夕方になると津島社の前には大幟(のぼり)、中幟が立ち、子どもたちは五色の紙幟を社前の盛り土に立て、太鼓をたたいたり花火をあげてまつります。紙幟には「奉献津島牛頭天王」と筆で大きく書き、左に氏名と年齢を書きこみます。
本祭りの日は、子どもたちは堀米公民館で、さらし木綿のもっこふんどし姿になり、紙幟を持って津島社に行進します。津島社で疫病退散、五穀豊穣、厄除けなどを祈った後、6年生は親玉で大幟をかつぎ、4、5年生は中玉で中幟をかつぎ、1年生から3年生は小玉で五色の紙幟を持ち、親玉の「オンヤーサー」の掛け声に、中玉と小玉が「モンヤーサー」とこたえながら社を3周した後、地区内にくり出します。色とりどりの幟をかざした子どもたちは大きな声をかけながら集落のなかを通り抜けます。青々とした水田地帯をかつての集落境をめぐって1時間以上もかけて一周し、再び津島社に戻ります。津島社に戻ると幟をおさめ、かたわらの池に飛びこんで禊(みそぎ)をおこないます。環境の変化に順応して祭りは続く
戦前までは一切を子どもたちがとりおこないましたが、現在は子どもと大人の協同の祭りになっている面もあります。また、女子も参加するようになり、ここにも時代の流れがのぞいています。ただし、男子のように裸になることはなく、行列に加わります。
かつて堀米では7月1日が農休みで、田植えが終わって一息ついていると子どもたちの元気のよい掛け声が聞こえてきました。家族は「それオンヤーサーが来たぞ」などと言って家の外に出て、成長した子どもたちの裸の姿を眺めるのが何よりの楽しみであったといいます。
現在は堀米の近くを長野自動車道が走り、水田が次第に宅地化するなかで、環境にうまく順応しながらこの祭りが伝承されています。また、この日にきゅうりを食べてはいけないという禁忌を現在でも守っている家もあります。これは津島社の神紋はきゅうりの輪切りに似ているため、梅雨時期でお腹をこわさないためなどといわれます。
裸祭りには自分たちの集落から疫病・悪霊を追い出そうとするエネルギーが感じられ、同様の主旨で7月8日におこなわれる城下町の八坂様の静に対し、動の祭りです。松本のたからHPより)
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