山辺に残る村の学び舎
-八角塔のある和風校舎は 教育にかける村人の心意気を今に伝えます-
旧山辺学校校舎は、明治18年(1885)に建てられた校舎です。
八角塔が印象的なこの建物は、伝統的な日本建築を基調としながら洋風の手法を巧みに組み合わせた学校建築として、長く地域の人々に親しまれてきました。
沿革
山辺学校は、明治6年(1873)に兎川(とせん)学校として誕生しています。
最初は、この建物の北側にある兎川寺の本堂を校舎として利用していました。
当時、松本では、神道を国教化するにあたり仏教を廃絶する運動(廃仏毀釈)が進められており、廃寺となった寺院の本堂が各地にありました。空き家となった寺院を利用することで、短期間で多くの学校を設立することができたのです。
明治18年12月に、八角塔が印象的なこの建物が完成し、翌年には近隣の学校を統合して山辺学校となりました。
その後は、入山辺小学校の分離や統合、新校舎の建設などを経て、現在の松本市立山辺小学校に至っています。
これまで100年以上に渡って、地域の子どもたちの学び舎となっています。
文化財としての校舎の保存
昭和3年(1928)に新たな校舎が隣接地に建設されると、この建物は里山辺村役場の庁舎として利用されます。
このとき、外壁の塗壁を板張りに、障子窓をガラス窓に改修しました。
その後は、公民館や保育園として利用されながら、地域を象徴する建物として「八角堂」と呼ばれ、長く住民に親しまれてきました。
しかし、建設から100年以上が経過し老朽化が著しくなったため、昭和56年から翌年にかけて大規模な復元工事が行われました。
この工事によって明治時代の姿を取り戻し、昭和58年からは、「山辺学校歴史民俗資料館」として地域の歴史・文化を展示する教育施設として活用され、昭和60年には長野県宝に指定されました。
そして、平成27年(2015)から4年間の耐震工事により、より長く安全な状態で保存・活用できるようになりました。
*公式サイトより情報を頂きました。