COLUMN

国宝松本城の
世界遺産登録をめざして

文禄2~3年(1593~1594)に建てられた五重六階の現存天守としては日本最古です。幾たびかの存続の危機を、市民の情熱により乗り越え、四百余年の風雪に耐え、戦国時代そのままの天守が保存されています。そんな松本のこれからのこと。

文化スポーツ部文化振興課世界遺産推進担当 桑島直昭

1972年福井県生まれ、松本市教育委員会文化財課、松本城管理事務所を経て、文化スポーツ部文化振興課世界遺産推進担当(現職)。これまで、松本城を愛し、支えてくださった多くの人々との出会いにより、松本城の魅力や価値を改めて再認識。現在は、松本城の世界遺産登録に向けて奮闘中

ミヒャエル・エンデの『モモ』という物語をご存知だろうか。

ミヒャエル・エンデの『モモ』という物語をご存知だろうか。この物語の主人公モモの舞台は、小さな円形劇場の廃墟である。この廃墟には、たまに観光客が訪れたり、ほんのわずかな考古学者が訪れたりするが、一番よくこの円形劇場を知っていたのは、近くに住んでいる人たちだった。ヤギを連れてきて草を食べさせたり、子どもがボール遊びをしたり、恋人たちが逢引をしたり・・・。そこにそれは「当然あるもの」として、存在する。そしてそこに住むようになったモモも人々から愛され、人々とその円形劇場跡で語り、関わりながら暮らしている。このシーンを読むと、脳裏に、松本城と松本市民のような関わりの姿が浮かんでくる。松本城も、この円形劇場のように、市民に愛され、市民の集まる場所であり、市民の心の拠り所として存在してきた。松本城は、今日、松本市にとって、また、松本市民にとって、「当然あるべきもの」として存在している。

「そこに当然あるもの」という考えで、松本城は永遠に後世まで残す

さて、ここで『モモ』の物語に戻るが、モモの周辺にいる大人たちは、次第に時間に追われ、利己主義、儲け主義的な社会に巻き込まれ、時間どろぼうに時間を盗まれてしまう。つまり、本当の意味での「生きること」を奪われ、心は荒廃し、見せかけの能率の良さや反映とは裏腹に、都市や人々は砂漠のような味気ないものとなってしまう。時間に追われる大人は、円形劇場にも行かなくなり、モモにも会いに行かなくなってしまう。私たちは、ともすると、この「モモの周辺の大人」のようになってしまいがちではないだろうか。皆さんは、今年、松本城に何回行かれただろうか。松本城を守る活動や支える活動をしてくださっている方々が居ることを知っている方はどれだけいるだろうか。「そこに当然あるもの」という考えで、松本城は永遠に後世まで残せるのだろうか。明治時代に売却され取り壊す運命にあった松本城を守った人々がいたことを知らない方はいないだろうが、  今後も同じようなことが起きないとも限らない。

後世にわたり残すための「世界遺産」

「松本城を世界遺産にしよう」という取り組みについての話をする中で、「世界遺産になるメリットは?」「いつ世界遺産になるの?」とよく質問される。松本城は、松本市民にとってはもちろん、日本国民にとって、稀有で愛される城であり、世界に誇れる城郭建築である。その城を後世にわたり残すための「世界遺産」である。

「みんなの大切な場所」

『モモ』の物語の最後、時間をモモに取り戻してもらった大人や子どもが再度みんなで集まったのは「円形劇場」だった。円形劇場は「みんなの大切な場所」だったのだ。私たちの大切な「松本城」も、このような「みんなの大切な場所」ではないか。だとすれば、「だれか」に任せるのでなく、「だれか」に綺麗にしてもらうのでなく、私たち一人ひとりがもっと松本城を「守る」「維持する」「後世にのこす」そのことを真剣に考え関わっていくべきなのではないだろうか。

まとめ

世界遺産とは、地球の生成と人類の歴史によって生み出され、過去から現在へと引き継がれてきたかけがえのない宝物です。現在を生きる世界中の人びとが過去から引継ぎ、未来へと伝えていかなければならない人類共通の遺産です。

(出典:公益社団法人日本ユネスコ協会連盟HP)

松本市は、私たち市民の宝である松本城、今の良好な状態で次世代に継承するために世界遺産登録を目指しております。