美ヶ原高原のシンボル「美しの塔」。
美ヶ原は濃霧になることが多く、遭難が多発しました。その対策の一つとして、霧鐘を備えた避難塔が「美しの塔」です。
1954年(昭和29年)の秋に高原の中央部に設置され、1983年(昭和58年)に改築されました。
高さは約6m、日本で一番大きな文学碑でもあります。塔の南面には美ヶ原を愛した自然詩人・尾崎喜八氏の「美ガ原溶岩台地」が、北側には山本俊一翁の顔のレリーフが埋め込まれており、松本の彫塑家、上條俊介氏の作です。
「美ヶ原の名を広め、国定公園にまでなった功績は大きく、美ヶ原を語るには俊一翁抜きには語れない」とまで言われた俊一翁とは、山本小屋を開き、美ヶ原の登山道を整備した功労者です。
塔の造形は杉井春雄氏(当時県観光課主事)によるもので、塔そのもののアイデアは下平宏恵氏(当時県観光課長)が中心となって、美ヶ原高原の拠り所とシンボル的な意味を含めて話が進んだと言われています。
建設には大変な苦労が伴っています。資材は全て三城側から背負いあげ、コンクリートを固める水は山本小屋から天秤棒で担いだと記録されています。塔の台座には山本俊一翁の金の入れ歯が埋められた記録があり、昭和29年10月30日に完成式を執り行いました。
昭和30年から美しの塔の前で山の安全を祈る行事が山本小屋が中心となって始まり、後に王ヶ頭高原荘(王ヶ頭ホテル)ができてからは交代で施主を務めるようになりました。
昭和35年、行政区がまたがる美ヶ原高原で、バラバラに行われていた観光宣伝を一つにまとめるため、当時の松本市長降旗徳弥氏が音頭をとり、当団体「美ヶ原観光連盟」が生まれました。このころから美しの塔での行事が「開山祭」と呼ばれるようになり、毎年5月第三日曜日に行われるようになりました。
このようにシンボル的存在となった美しの塔。この塔がきっかけとなって交際が始まった何組かのカップルがいるそうです。日帰りで訪れる人も多いようですが、気軽にアクセスできる分、少しゆっくり高原トレッキングをしてみるのもオススメです。